1.1.2 超光速どころか光速度もダメ


 相対論を武器にUFOを否定しようとする人たちがいる一方で、逆に、UFOの存在を信じたいがために、超光速を禁じている相対論を批判する人たちもいる。だが、このような人たちもまた、相対論にだまされている!
 実は、相対論は、超光速だけでなく、光速度も禁じているのだ!
 光速度では、長さはゼロになり、時間は止まり、質量は無限大になってしまう。だから、光速度はあり得ないのである。つまり、本当は、
「相対論は光速度以上を禁じている」
と言うべきなのである。
 しかし、だとすると、この世には相対論の教義と矛盾するものが存在することになってしまう。それは、『光』である。
 確かに、質量無限大の問題については、「光の質量はもともとゼロである」とすれば、解決できるだろう。だが、長さゼロの問題は解決できない。なぜなら、光には『波長』という長さの概念があるからである。これは、光速度では長さゼロという相対論の教義と完全に矛盾する。(厳しい人なら、「光線という概念自体、光が長さを有している証拠だ」と指摘するに違いない。)
 時間の停止についても、まず光には振動数という時間経過の概念があることと矛盾している。また、光が進むにつれて、光の強さが弱まることも、光には時間経過がある証拠と言えるだろう。
 以上のことから、相対論では、光というもの自体存在し得ないことになる。光というものが存在するためには、光の速度は光速度未満でなければならない。これは、嗤うべきパラドックスである。
 そして、このパラドックスを解決しない限り、相対論は、それ自身が存在を認めないもの(=光)によって時空を定義する理論ということになる。
 ここまでくると、もはや相対論を科学の真理として認めるわけにはいかないことがわかるだろう。それとも、相対論信者たちはなお、光を「常識など、まるで通用しない特別な存在」として、こうした問題を無視するのだろうか?

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